大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(う)1063号 判決

被告人 藤田幸正

〔抄 録〕

足跡鑑定の一般的信用性について

関係証拠によれば、元来、短靴の靴底がいわゆるプレス法によって型金にゴムの原料を入れて製造された場合であっても、微細に観察すると、その靴底の模様は、原則としてそれぞれ相違しており、また、サンダルがいわゆる切抜き法によって製造される場合には、人間の手作業が介入することから、その底面の形状は、これまた原則として相違する(これらを既成特徴と言う。)ほか、靴底あるいはサンダル底の材質、当該履物を使用する者の歩行癖ないしは当該足跡が印象された場合の歩き方、履物の使用される場所等に応じて、使用に伴い、当該履物に特有な摩耗状態あるいは損傷痕などを生じる(これを固有特徴と言う。)のが一般であるから、異なる使用者の間において同種同サイズの履物が使用され、かつ、履物の底に同一の特徴が形成される確率は極めて低いことが認められるのであって、右のような条件の組合わせによる極めて稀少な確率が裁判上有意味なものとは考え難い。従って、犯行現場に残された足跡に、他と区別するに足りる右のような特徴が見出され、その特徴が被告人の使用する本件短靴等あるいはそれによる対照足跡の特徴と一致するときには、右の事実は、被告人と当該犯行とを結びつける極め手の証拠となり得るものと言うべきである。もっとも、犯行現場ないしは被害品発見現場に遺留された足跡と被告人の本件短靴等あるいは対照足跡とが一致するか否かを判断するいわゆる足跡鑑定に関しては、小田切及び藤原の原審各証言によっても、覚せい剤の検出方法のような、普遍的な判定方法が確立されていると言い難いのは勿論であるが、判断の対象である足跡は、右に見たとおり判定可能な対象物であるとともに、その判定方法も計測比較法、写真切断接合法(写真結合法とも言う。)、写真重合法などの方法が用いられており、主観の入り得る余地の乏しいものであるから、その鑑定結果を事実認定の用に供することは何ら差支えがないと言わなければならない。所論が論難する鑑定人間の鑑定方法に対する見解の相違、鑑定資料に内在する欠陥あるいは靴底の製造過程についての認識の差などは、裁判所において当該鑑定の当否を吟味する際に十分留意すれば足りる事柄であるから(同様のことは他の分野の鑑定においてもしばしば起こることである。)、個々の具体的な点を問題とし(これについては後述する。)、ひいて足跡鑑定一般の有用性を否定する所論には左袒し難い。

所論は、さらに、小田切、藤原両鑑定について具体的にその鑑定方法が杜撰であるなどと批難するので、以下これについて判断する。

足跡に関する小田切、藤原両鑑定の信用性一般について

<1> 小田切鑑定は、原判示第一ないし第一二の各犯行現場あるいは被害品発見現場に遺留された足跡についてなされたものであるところ、これに関する同人の鑑定方法をその鑑定書及び同人の原審証言によって見ると、同人は、主として本件短靴等あるいはこれから作成した対照足跡と本件足跡とを比較してその特徴点などを計測、対照し、次に、本件短靴等の靴底にスタンプインクを塗布したうえ、セロハン紙などによって本件短靴等の底模様を忠実に転写したうえ、これを本件足跡の原寸大の写真に重ね合わせてその異同を識別、判断しているものである。

所論は、右小田切鑑定に対し、<イ>鑑定が極めて短時間で行われており、本件足跡と本件短靴等ないしは対照足跡との相違点の発見に努めていないこと、<ロ>他の足跡鑑定においては用いられたことのないセロハン転写法を用いていること、<ハ>三五粍フィルムを使用して鑑定資料を撮影する際の危険性を顧慮していないことなどを挙げて、その信用性に乏しいと主張する。

ところで、所論の論難する<イ>の短時間の鑑定とは、小田切において、原判示第一一の栗原方及び同第一二の星野方の事件発生当日である昭和五〇年一一月二八日の正午過ぎに右両名から採取された本件足跡を受け取り、同日夕刻に電話で、右足跡が当日逮捕された被告人の履いていた前示黒皮短靴によって印象されたと認められる旨の結論を足利警察署の担当者に伝えたことを指すものであるが、小田切の原審証言によれば、同人は、昭和二五年以来約二八〇〇件に上る足跡鑑定に携っていて、足跡の状況によっては短時間に結論を出すことも可能であり、右二件の本件足跡についても、その特徴が明確であったことなどの理由から短時間のうちに結論を出すことができたが、その後日時をかけ、他の鑑定材料ないしは鑑定方法をも使用して正式な鑑定をしたが同一の結論に達したというのであって、その証言に格別不合理なところはない。してみれば、右経過のうちの当初の事態をとらえて同人の鑑定全体が信用できないとする所論は相当とはいえない。しかも、同人はその証言において、鑑定に際してはまず相違点に留意する旨を述べているのであって(原審記録第七冊一六九九丁)、その鑑定態度に問題があるとも言えない。また、<ロ>同人がセロハン転写法を用いることについての主な問題点は、セロハン紙を使用して前示のとおりスタンプインクを塗布した靴底等を転写すると、日時の経過によりこれが収縮することがあるため、後日当該鑑定を再検討するのには適しない方法であるということにあり、鑑定方法そのものとして問題があるわけではない。同人は、セロハン紙のほか、転写材として塩化ビニールやゼラチンをも使用して重合検査をしたが、これらの転写材もその材料の性質上、鑑定書が分厚くなったり、あるいは対照に使用した写真を毀損するおそれがあることから、セロハン紙による重合検査の結果を鑑定書作成の際に利用したというに過ぎず、セロハン転写法はそれなりに合理性を有するものと認められるから、小田切鑑定が鑑定手段の一つとしてセロハン転写法を採ったからといって、その信用性に疑いがあるとは言えない。さらに、<ハ>所論は三五粍フィルムを使用して足跡の写真を撮影した場合に生ずべき画面周辺部分の誤差を指摘する藤原の原審証言を論拠とするが、小田切の原審証言によれば、同人は、本件足跡の鑑定に際し、主として大きい六×九版のフィルムを使用したが、三五粍のフィルムも使用したと思う、通常スケールと資料を同一面に置いて正確に形状を再現できる状態で撮影している旨(原審記録第六冊一五〇〇丁)あるいは細かい特徴を比較する場合には大きく撮影して比較した旨(同一五〇一丁)述べており、他方、小田切の撮影した写真の原板について、藤原自身は、撮影方法としてはそう悪い資料ではない旨及び同人としてはこれを信用して鑑定することが可能であると思って本件足跡の鑑定を引き受けた旨述べている(同一三五九丁、一三九八丁)のである。しかも小田切は本件短靴等と本件足跡との現物相互をも比較したと述べているのであるから、所論の批難は当たらない。

<2> 次に、藤原鑑定について見ると、同鑑定は前示のとおり原判示第一ないし第九及び第一二に関する本件足跡について行われたものであるところ、その鑑定の方法は、本件足跡自体を鑑定資料とすることができなかったため、先に触れたとおり、小田切鑑定の際に撮影された本件足跡の写真原板を現像して原寸大に引き伸ばし、また、対照足跡は本件短靴等を土面などに印象させて作成し、その足跡を写真に撮影したうえ、これらの写真を用いて両足跡を比較計測し、特徴点を対照するとともに、主として切断接合法によってその異同を鑑定しているものである。

所論は、<イ>藤原鑑定が本件足跡の現物ではなく、その写真を使用したことをとらえて、写真では足跡が採取された場所の土質、土面の状況などが判明せず、また、写真は現物自体を忠実に反映するものではないから、同鑑定の信用性には疑問を抱かざるを得ない、<ロ>また同鑑定において採られた切断接合法は足跡鑑定に適切な方法とは言えないなどと主張する。

たしかに、足跡鑑定に際し、採取された足跡自体ではなく、これを撮影した写真を用いたときは、採取された場所の土質、土面の状況などの詳細が判明しない場合があり、また、その足跡の細部、とくに石膏法によって採取された足跡の立体的な状況の検討に限界がある場合の生じ得ることは藤原自身も認めるところである。しかしながら、右のような制約があるにせよ、なお写真による鑑定が相当程度まで可能であることは、先にも指摘したとおり、同人及び小田切の原審各証言によって認めることができ、藤原鑑定書に添付された本件足跡の写真と当該証拠物の対比からも明らかである。また、藤原鑑定の用いる切断接合法は、既に多年にわたる足跡鑑定の実績を持つ同人が、足跡の足長、模様間の距離を対照するのに最も適した方法と信じて実施しており、他の検査方法も採って検討したが鑑定書に記載しなかったに過ぎない(原審記録第六冊一三六二丁以下)、というのであって、同人が自己の鑑定結果を証明する方法として切断接合法による説明を同鑑定書に記載したことが窺われ、その有用性を否定することは相当ではない。所論引用の小田切の原審証言も、その趣旨とするところは単に切断接合法が完全な鑑定方法とは思っていないと言うに過ぎず、これをもって切断接合法を否定する論拠とはなし難い(同一五〇二丁)。なお所論は、以上に関連して小田切鑑定書を参考とした藤原鑑定には予断をもってなされた疑いがあるともいうが、同人が本件足跡中根岸方関係の分についてなした鑑定結果からすれば、同人に予断がなかったことは明らかである。

<3> さらに所論は、小田切、藤原両鑑定に関し、いずれも<イ>固有特徴と言われる摩耗状態や損傷痕の具体的指摘がないうえ、<ロ>原判示第一ないし同第四の犯行は、昭和五〇年三月ないし六月の犯行であるのに、右各犯行現場から採取された本件足跡が、右各犯行から約六か月ないし九か月を経過した後に提出された前記茶色短靴による対照足跡と一致するという不合理な鑑定結果を導いているのであるから、両鑑定を到底信用することができない、と言うのである。

しかし、<イ>所論にもかかわらず、両鑑定が本件各足跡に特有のいわゆる不整形模様その他の特徴を比較し、また、摩耗状態や損傷痕などを検討していることは、小田切及び藤原の原審各証言並びに両名作成の各鑑定書から明白であるから、所論は採用することができない。次に、<ロ>原判示第一ないし同第四の犯行に使用されたという茶色短靴が、右各事件の発生から約六か月ないし九か月経過した後に被告人から提出されたものであることは所論のとおりである。しかし、関係証拠によれば、被告人は、逮捕当時少なくとも短靴九足、雪駄一足、下駄一足、サンダル二足及びゴム長靴一足を有し、日常着物を着ることも多く、洋服を着た場合も茶色短靴を使用した形跡は少ないのであるから、右各犯行の間及びその後茶色短靴が提出されるまでの間に、その靴底に別異なものとすべき程の摩耗ないしは損傷による変化があったとは考え難く、ひいては、本件足跡と右短靴ないしはそれによる対照足跡とに関する両鑑定が不合理とは言えない。

(草場 半谷 須藤)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!